高田博厚 彫刻プロムナード

高田博厚 彫刻プロムナード

ホテルフロントとアネックスプラザに高田博厚彫刻プロムナードがあります。
高田先生は戦前から戦後にかけて、パリに留まり創作活動を続けていました。
特に芸術家や思想家との交流が深く、
彼らを対象とした作品は数多く「高田の作品は人間の内面描写がすばらしい」と評価されていました。

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高田博厚 年譜

1900年 石川県七尾に生まれる。
12才の頃から父の蔵書の日本の古典、新約聖書を読み、14才の頃にはヨーロッパの文学、哲学、美術の書籍に熱中する。
1918年 上京。絵画制作を始め、高村光太郎、岸田劉生と知り合う。
1919年 東京外国語大学イタリア語科に入学。
1921年 雑誌『白町』に「ミケランジェロの書簡」の翻訳を連載。彫刻制作を始める。
1927年 武者小路実篤主唱の大調和展に初出品。
1929年 梅原龍三郎主唱の国展に高村光太郎と共に参加。
1931年 渡仏。以後マルセル・マルチネ、アラン、ジョルジュ。
1935年 淡徳三郎と共に在欧邦人向けのガリ版刷り日本語新聞「日仏通信」を発刊。
1939年 第二次世界大戦勃発。
大戦中もフランスに留り、毎日新聞・読売新聞の特派貝をつとめる。
1957年 26年振りで帰国。
以後、新制作協会会員、日本美術家連盟委員、日本ペンクラプ理事、
東京藝術大学講師などつとめるが徐々に退いて制作に専念する。
1966年 鎌倉ヘアトリエを移し精力的な制作を続ける。
1970年 バルセロナにて三島の画家増島豊治と出逢う。以後三島との交流が始まる。
1987年 6月17日、常子夫人に看取られ鎌倉にて86歳の生涯を閉じる。
1991年 みしまプラザホテル内ギャラリーにて回顧展開催。
1992年 同ホテルに、高田博厚彫刻アートプラムナード開設。
長野県に豊科近代美術館が開館。
1994年 埼玉県東松山市の謁坂彫刻プロムナード「高田博厚彫刻群」が完成。
1997年 青年時代まで過ごした故郷、福井県に福井市美術館が開館。
2021年 みしまプラザホテルの高田博厚彫刻プロムナード開設30周年記念「高田博厚メモリアルコンサート」が開催され、
高橋純国立大学法人小樽商科大学名誉教による「ロラン・ロマンと高田博厚新発見の日記・書簡から」の
記念講演が行われる。